-『ASAHIZA』の制作はどのように始まったのでしょうか。
プロデューサーから依頼がありました。消極的に聞こえるかもしれませんが、僕は誰かに頼まれるから制作します。他人から何かをつくることを求められるのは、それ以前の作品があるからです。過去につくられた作品との連続性のなかで新しい表現が生まれますが、これまでに芸術文化と社会の関わりについて反省的に考えてきたことが評価されたのかもしれません。また、東日本大震災が起こる前年に、せんだいメディアテークの展覧会に参加した縁で、2011年3月下旬から東北に入り、破局的な状況となった沿岸部の文化施設や被災地で活動するアーティストらの記録を撮り始めています。そんなことをしているうちに、映画音楽を担当した大友良英さんから電話があって、「福島でイベントを考えているんだけど」と。そこから福島で撮影をするようになり『プロジェクトFUKUSHIMA!』(2012年)を撮っています。その映画が朝日座で上映されていたことも参考になったと思います。

 

- 撮影はどのように進みましたか。
撮影は映像制作の経験のない方々の技術研修(ワークショップ)としてスタートしました。一般の方々が「朝日座を知っていますか」など、あらかじめ決めておいたシンプルな質問を朝日座の観客たちにしていきます。僕は監修みたいな立場でアドバイスする、というような。例えば、原発事故で馬を手放し元気がなくなったおじいさんの沈黙が長く続く場面があります。それは、インタビュアーに「とにかく待って。何も言わず、せかさず、待って、聞いて下さい」と事前に助言をしておいたからです。そうこうするうちに取材の深度が増していった気がします。監督を依頼された時点で、制作された映像をその舞台となった朝日座で上映するということは決まっていました。撮影された場所で、撮影された人々と共に鑑賞する映画を作ってきたフランスの映像人類学者ジャン・ルーシュの影響を僕は受けていますが、自分たちの生活の中にあった映画館や町の記憶を、自分たちで作る映画を通して見つめ直す。同時にその地域だけの映画になってしまわないように考えました。〈遠い町の物語〉にならないようにするにはどうしたらいいかと、その方法論を考えるのが監督の仕事でした。

 

- 登場する方たちの美しさがとても印象的でした。
原発事故を受けてこの地域の人々は〈被災者〉として描かれ続けてきました。被災地のイメージで覆い尽くされてしまった土地だと言えます。逆説的に言えば、メディアなり映像文化が、この土地の人々を〈被災者〉として固定化しているとも言えます。前作の『プロジェクトFUKUSHIMA!』を撮った時に、カメラの中に記録された人々の笑顔や冗談を映画の中でどう扱えばいいかわからず大半をカットしました。それは〈フクシマの物語〉として観客が期待するであろう〈リアル〉に矛盾すると考えたからです。当時の判断が間違っていたとは思いませんが、違和感も残りました。映画『ASAHIZA』に登場する方たちを美しいと感じられるのは、そこで描かれた人々が〈被災者〉のイメージから開放されたからなのかもしれません。朝日座のことを話し始めるとみなさんニコニコする(笑)。それで、今回の撮影中にプロデューサーの立木さんに言ったんです。非日常であろうと日常を生きる「普通の人々」を描かねばならない、この明るさというか、柔らかなものを表現することが、原子力発電所の事故によっていろんなものが破壊されていく現実に対する報復になるのではないかって。

 

- 音楽も素敵でした。
大友さんには、前作の『プロジェクトFUKUSHIMA!』のときは「音楽になる前の音を」と依頼して、『ASAHIZA』では「音楽になろうとしている音を」と頼みました。あと何点かスチルを見せただけです。大友さんとはそれ以前にも一緒に仕事をしているし、映画音楽にすごく慣れている人だから、監督がやりやすいように作ってくれるんです。『ASAHIZA』では3バージョンの音を作ってくれて、それをどこで切ってもいい、好きなように編集していいよって形で渡してくれました。

 

- 監督としては、この作品をどんな形で見てもらいたいですか。
この映画は劇場をめぐる観客の物語ですが、それはまた社会の産業構造の変化の中で繁栄し翻弄されてきた人々の歴史でもあります。震災前からそこはシャッター商店街であり、若い世代は近郊の大都市へと移住してしまいます。そこに大災害が襲ったのですから、復興と言っても安易な希望など通用はしない。それでも続く暮らしの中ではセンセーショナルな絶望の表現すら受け入れられません。映画はとても穏やかではあるけれども、私たちの社会が直面する最も困難な現実を提示します。そこに答えはありません。朝日座という劇場、その地域から、日本の、そして、人間の未来は、どこに向かうのかを、〈私たちの物語〉として考える機会になればと願っています。

 

 

監督プロフィール

藤井 光(ふじい ひかる)
1976年東京生まれ。映画監督・美術家。パリ第8大学美学・芸術第三博士課程DEA卒。自然災害を含む、政治的、経済的、精神的な痛みを被る人間の危機的な状況において、芸術表現は何処へ向かうかを問い続けている。その多くは固定カメラで撮影される静的な映像で、映画と現代美術の区分を無効にする活動を国内外の美術館・映画館で発表している。前作『プロジェクトFUKUSHIMA!』(2012年)は国立近代美術館に所蔵されている。
http://hikarufujii.com