スクリーンの外と内
蔵屋美香 東京国立近代美術館 美術課長
淡々としているけれど、実はびっくりする映画だ。なぜなら、2011年3月11日を経た今日、福島県南相馬市の人々に、東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故のことではなく、古い映画館の思い出についてひたすらたずねるのだから。
作品は主に二つのパートで成り立つ。一つはさまざまな年齢、職業の南相馬の人々が朝日座について語るパートである(パートAとしよう)。もう一つは、東京からバスでやって来た一行が、南相馬の人々と共に朝日座でこの映画の仮編集版(つまりAのみのヴァージョン)を観、やがて帰って行くパートだ(パートBと呼ぼう)。完成版はパートA、Bを組み合わせてできている。そしてこれらのパート双方に、固定カメラ、それによって作り出される正面性の強い構図、音と画像のズレといった共通の要素を見出すことができる。
パートBには、「映画(館)についての映画」という自己言及のしかけがあちこちにある。たとえば冒頭、久々に観客を迎える朝日座は、こういう時扉を開け放つふつうの建物とは逆に、扉を閉め、光学機器の先祖、カメラ・オブスクラを思わせる「暗い部屋」に姿を変える。観客が席に着き、いざパートAの上映開始、となるところで、画面は東京からのバスの車内に切り替わる。これら二つのシーンは、一方は客席の観客を、他方は車内からフロント・ガラス越しの眺めを、共に固定カメラで正面から捉える構図によって、一つに結ばれている。私たちは、画面の中の観客と一緒に「パートAのみのヴァージョン」を見ることはできないが、その代わり、パノラマのように横長なフロント・ガラス越しに、あたかも映画の観客のようにして、南相馬の郊外風景が展開するのを見る。
他方、パートAにおいて固定カメラは、「画面に映る人物が誰かとしゃべっているが、相手はフレームの外にいてどんな人なのかわからない」という状況を作り出す。そもそも朝日座について話す人々の前にはカメラマンや質問者がいるのだが、彼らの存在は常にフレームの外にある。また、朝日座の経営者だった女性の周囲では、家族と思しき人々の声がするが、その姿はなかなか見えない。音と画像のズレについて言えば、多くの人の語りが、その人の職場のようすを捉えた画像にかぶさって聞こえ、これが、話者がどんな人物なのかを知るほぼ唯一の手掛かりとなる。あるいは「朝日座の周囲に食堂をはじめたくさんの店が栄えた」という印刷工場主の声が、次の話者である食堂の店先の光景に引き継がれることもある。
さて、これら固定カメラ、正面性、音と画像のズレといった特徴は、どれも観る者に次のような点を訴える。すなわち、固定カメラは、私たちが見ているのは四角いフレームによって恣意的に切り取られた世界に過ぎないことを繰り返し伝える。正面性の強い構図の中では、バスのフロント・ガラスの例のように、フレームの四角い形が反復され、観る者にフレームの存在を忘れないようさらに注意をうながす。また音と画像のズレは、目の前の出来事が、音と画像を任意に組み合わせる映画という枠組みによって再構成されたものであることを思い出させる。
これらはつまるところ、映画の持つ不自由さ、情報の欠如ぶりを示すものだ。私たちは「映画」が可能にする枠の中でしか、南相馬の暮らしを知ることはできない。エプロン姿の女性が、孫と遊ぶおばあちゃんではなく、「ちゅうりっぷ文庫」という名で読み聞かせ活動を行う人だということは、終盤、南相馬の若い母親とバス旅行の人々との会話の中ではじめて明かされる。そしてこれは、文庫を利用する子どもが南相馬にどれだけいるのか、という、映画では直接語られない問いを引き出す。絹地を手にするのは「にしうち染工場」の父子で、有名な「相馬野馬追」に用いる旗指物を作っている。これがわかってはじめて、「馬を手放して元気をなくしたお父さん」なる人物がこの町にいることの意味も理解される。こうして欠けた手掛かりを埋めていくと、朝日座のみならず、それを取り巻く食堂、茶舗、自転車屋といった、かつてどこの町でも見られたたくさんの職業が、また伝来の行事が、そしてそれらが織りなすある町の暮らしが、次第に見えてくる。
監督の藤井光はインタビューの中で、「被災者ということで取りこぼしてしまうものを」表現することは、「原発事故に対する僕なりの復讐になる」、と語る*。震災と原発事故は、もちろん歴史的な大事件だ。しかし、そのことによって南相馬の人々が一切の過去や未来から切り離され、ただ一つの「被災者」という役割に押し込められるわけではない。大事件の渦中にあっても、人は自分の過去を語り、今日の食事を考え、そこからつながる明日を考える。ここをベースにしてこそ、大事件を根底から問うことも可能になる。
最初に書いたように、もし今日、南相馬で映画を撮るなら、誰もが震災と原発事故をテーマにするだろう。しかしこの映画は、映画という枠組みがそもそも持つ欠落を利用して、スクリーンの外側に大事件を潜ませ、スクリーンの内側には、震災をまたいで引き継がれるある映画館の記憶と町の暮らしを描き出す。このようにして、映画だけができるやり方で、大事件と日常とを不可分に生きる南相馬の人々ひとりひとりの姿を、ゆっくりと浮かび上がらせるのだ。
* シネマティックな人々「『原発事故に対する僕なりの復讐』 不思議な映画『ASAHIZA』を撮った藤井光監督」
2014年3月29日付 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140328/ent14032821270024-n1.htm