映画作家を発見し、その作家が一本、また一本と撮り続けていくために支援する、そしてまた他の作家たちへの賞賛を示し、彼らが作品を創り出す手助けをする。2012年にアルテ・フランス・シネマのディレクターに就任して以来、それまでの12年間、カンヌ国際映画祭監督週間、そしてロカルノ国際映画祭でディレクターとして行ってきたそうした活動を、今日まで続けてきました。世界における主要な映画作家たちの作品の共同製作に参加するだけでは十分でなく、そうした作品が観客たちと出会うその重要な瞬間に寄り添い、映画作家たちとは実り豊かな対話を作り出していくことが重要です。
アンスティチュ・フランセ 日本の提案により、今回初めて日本の映画ファンたちに向けて、アルテが支援している映画作品のセレクションを紹介する機会を得ました。本プログラムでご紹介するのはとくに私たちが大切に思っている作品たちであり、自由で野心的な映画を支援してきたアルテの精神を体現している作品ばかりです。
カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭の様々な部門に出品されるヨーロッパ、そして世界中の映画作品の中で、アルテ・フランス・シネマは、現代映画作家たちの映画へ関わりを強く示してきました。ドキュメンタリーからアニメーション、映画の様々なジャンルの再読解を試みる作品から、社会への視線を基軸にした作品、現代に根を下ろしたフィクションから、より奔放なる想像力の探求まで、あるいはそのすべてを包括した作品。そうしたインスピレーションに溢れた映画作家たちに耳を傾け、斬新な作品に寄り添い続けたいという私たちの意思は尽きることがありません。映画の創造に乗り出す新顔の監督たち、一作目、二作目の作品に重要な場所を与えてきました。
こうした若い世代の映画作家たちの勢いはまた女性監督たちについてもあてはまるでしょう。新人の女性監督たちの中で、とくにマッティ・ディオップ(『アトランティックス』、カンヌ国際映画祭グランプリ)、アフシア・エルジ(『君は愛にふさわしい』)、ザブー・ブライトマン&エレア・ゴべ・メヴェレック(『カブールのツバメ』)が2019年に素晴らしい作品を発表し、観客にも批評家たちにも温かく迎えられました。多くの女性監督、しかもそのほとんどが新人監督による作品を支援できたこと大変喜ばしく思っています。
世界は変化し、そこに向けられる視線も変化している、映画の刺激的冒険はそのことを私たちに伝えてくれます。そうした「新たな視線」こそ歓迎し、応援すべきでしょう。アルテは、未来の巨匠となるであろう若い才能の出現を注意深く見据えてきました。私たちの主な目標はまさにそうした才能溢れる作家たちの重要な瞬間を発見し、支援することです。
そうした作家の一人であり、早い時期からその才能が認められたナダヴ・ラピドは、長編三作目にあたる『シノニムズ』で見事ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞しました。アルベルト・セラ(『リベルテ』)、ニコラ・パリゼール(『アリスと市長』)、セルジュ・ボゾン(『マダム・ハイド』)、カンタン・デュピュー(『ディアスキン鹿皮の殺人鬼』)、私たちが共同製作に関わったこうした作家たちはフランス映画に刺激的な活気を与え、魅力的で、多様な要素が詰まっていて、驚くべき、新たな映像と物語のフォルムを巧みに生み出すことに成功しています。
また2019年は、常に活躍を続けてきたる偉大な監督たちの製作にも密接に関わってきました。アルノー・デプレシャン(『ルーベ、嘆きの光』)、そしてアンドレ・テシネ(『見えない太陽』)、彼らの作品は現代社会に非常に明晰な眼差しを向け、それぞれに特有な演劇性やロマネスク的な嗜好を損なうことなく、ドキュメンタリー的な側面も持ち合わせています。
そして、今回の目玉であるふたりの「風変わりな(エキセントリック)映画作家を紹介しましょう。ゴダールはある時、フランス映画のシステムの中心からずれたところいる自分自身の状況について触れながら、「歴史の新たなページをひらくのは外側にいる者たちだ」と述べました。ゴダールはあえて一匹狼で横道を歩みながらも、時にはより大衆的な映画のコードと戯れ、スター俳優たちの「狂気じみたタッチ(タッチ・オブ・マッドネス)」とともに彼らを共犯者として撮りながら、自分の作品群を確立してきました。時代は異なりながらも、そうした路線を引き継いでいるのがジャン=ピエール・モッキーとセルジュ・ボゾンのふたりでしょう。
今回、白紙委任状を受けて、2019年8月8日に他界したジャン=ピエール・モッキーの追悼特集を提案したいと思いました。若い時分に俳優としてキャリアをスタートしたモッキーは、1959年に長編処女作となる『今晩おひま?』を監督して以来、フランス映画の中でもっとも熱狂させる映画作家となりました。ヌーヴェルヴァーグの同時代人でありながら、モッキーは30年代の詩的レアリズムの伝統を引き継いでいます。モッキーの映画には、ユーモアとファンタジーがあるとともにメランコリー、暴力、そして悲劇も存在しています。そのフィルモグラフィーの黄金時代には、B級犯罪映画的であると共に、フランス映画の中でも優れた政治的映画を生み出しています。その一本が1970年に撮られた『ソロ』です。
非常に独創的な作品を作り続けている1972年生まれのセルジュ・ボゾンは、モッキーの後継者とよべる存在でしょう。ひそかに展開される不条理とも言えるユーモア、陰謀や謎への嗜好、無味乾燥にも思える作風、速度のある語り、そしてとりわけ「アート系」映画としてごたごたと媚びることへの拒否、セルジュ・ボゾンの映画の魅力は、(映画史と)断絶しながらもその伝統を受け継ぎ、新たなものを創造しながら、過去の作品の引用もするという、相反する運動の間を自由に往来していることでしょう。
批評家でもある映画作家セルジュ・ボゾンは、フランス映画史への反旗の記憶を携え、無難な道を辿ることをせず進んできました。「フランス」、それはボゾンの映画の重要なテーマです。その歴史(まさにそれがタイトルにまでなっている『フランス』)、フランス共和国の制度や組織(『ティップ・トップ』の警察や『マダム・ハイド』の学校)、それらが頑強なまでに反自然主義的に、時に不協和音を奏でながらもミュージカル的に描かれてきました。ダンディーな映画作家セルジュ・ボゾンは演出への変わることのない信念に溢れ、勇敢に、映画の炎を燃やし続けています。