『カイエ・デュ・シネマ』2020年9月号(768号)の表紙で、私たちは、フランスでの映画館再開とそこに作品が戻ってくることを祝い、「すべて映画館で!」と謳った。行動規制を余儀なくされた一年、その半ばで、映画館の再開は残念ながら短い期間となったのだが、それは真に新しいと感じ、熱狂させる作品たちを擁護するまたとないときとなった。 同号で特集した作品は同誌の昨年の「トップテン」にも選ばれている作品であり、その内の2本はフランス映画、ソフィー・ルトゥルヌールの『奥様は妊娠中』とエマニュエル・ムレの『言葉と行動』であり、それぞれの監督の最良の作品となっている。
このふたりはフランスで何年か前から呼ばれている「中間にある映画」、つまり周辺に閉じこもることなく、より広い観客層を獲得できる作家的個性を持つ映画を代表する監督たちである。作家主義と大衆性というふたつの要求を併せ持っている「中間にある映画」は、かつてはまさにフランス映画の強みであり、その代表格としてフランソワ・トリュフォーやジャック・ドゥミ、あるいはクロード・シャブロルといった監督たちの名前を挙げられるだろう。 今日、こうした映画の傾向はとくにコメディを通して続いており、ルトゥルヌールとムレの道程はまさにそのことを強く示している。このふたりの最新作でとくに興味深いのは、それぞれがフランス映画で探求されてきたジャンルやキャラクターから出発しながらも、それらをさらに深く推し進めているところだ。たとえばルトゥルヌールは『奥様は妊娠中』で「カップルのコメディ」というジャンルを生々しく、荒唐無稽(ルビ:バーレスク)なコメディへと転換させている。他方ムレは『言葉と行動』で、優雅で粋な恋愛劇(ルビ:マリヴォダージュ)を目が眩むような輪舞へと広げ、コメディは次第にメロドラマへと移行していく。
本特集では彼らよりベテランの、今日のフランスの作家主義の映画において最良の部分を担っているふたりの映画作家の作品も紹介する。一本目はフィリップ・ガレルの『涙の塩』だ。ガレルは60年代の初期作品から『カイエ・デュ・シネマ』にとって非常に大切な作家である。二本目は『ルーベ、嘆きの光』であり、アルノー・デプレシャンはこれまでの作風とは異なる、予期せぬジャンル、犯罪映画に挑戦している。
2019年のベスト作品としてセレクトしたステファン・バチュの『バーニング・ゴースト』、フランク・ボーヴェの『叫んでいるなどとは思わないでください』は、最近のフランス映画の中でもとりわけ独特な声を発している作品たちである。前者は詩的幻想映画の鉱脈の中に位置づけられる作品であり、長い年月を隔ててジャン・コクトーの映画と響き合っていると言えるだろう。後者はファウンド・フッテージの驚くべき作品で、親密なる日記であると同時に政治的トラクト、映画愛好者(ルビ:シネフィル)の夢でもあり、映画がいかに世界の暴力や人生の哀しみから私たちを救ってくれるかを示す抒情短詩(ルビ:オード)になっている。
そして映画批評家の仕事をまったく異なる方法で見せている二本の作品。一本目はソフィー・ルトゥルヌールの魅力溢れる作品『セックス・アンド・ザ・フェスティバル』、二本目はクレール・ドゥニの『ジャック・リヴェット、夜警』だ。前者は、ロカルノ映画祭での3人の女性たちのアヴァンチュールを通してパリの批評家たちの小さな世界を屈託なくからかってみせる(『奥様は妊娠中』でも展開しているバーレスクとドキュメンタリーの交錯を見ることができる)。後者は『カイエ・デュ・シネマ』にとって重要な存在であるジャック・リヴェットとセルジュ・ダネーのふたりによる非常に興味深い,長い対話で構成されている。最初、リヴェットは映画作家として自分の作品についてダネーに語っているのだが、しだいに批評家へと立ち戻っていく。まさにダネーが「最初の批評的しぐさ」と述べていた会話の実践によって。
『ジャック・リヴェット、夜警』でリヴェットは、彼を熱中させたひとりの若い女性監督の処女作について語り始める。パトリシア・マズィの『走り来る男』である。それは偉大な、類い希な映画作家の誕生を知らしめる行為と言えるだろう。同作は公開以来あまり紹介されることがなくなっていたが、復元されたことでようやく今年になって素晴らしいリマスター版で見られることになった。田舎の風景や俳優たちを撮影するその方法、そして現代の西部劇とも言える乾いた語り口が非常にオリジナルな作品である。もし映画史の中につながりを求めるとしたら、(マズィ自身も述べている通り)、同作の主役のひとりであるジャン=フランソワ・ステヴナンの映画を挙げることができるだろう。
ステヴナンはトリュフォー、ゴダール、リヴェットの作品、そして大衆的テレビ映画にも多く出演し、フランス映画で馴染み深い顔なのだが、過去50年のフランス映画の中でも最も素晴らしい作品を生み出し、ジョン・カサヴェテスとジャック・ロジエの間に位置づけることができる監督である。その監督作品があまり知られていないとしたら、『防寒帽』(1978)、『男子ダブルス』(1986)、『ミシュカ』(2002)の3本しか撮っていない寡作であることにその理由を見いだせるかもしれない。どれもが素晴らしく、とくに私にとっては『防寒帽』は、世界でもっとも美しい映画として大切な一本である。ステヴナンのこれら三本を日本の皆さんが発見されることをとても嬉しく思う。生きたい、映画を撮りたいという想いをほかのどの作品よりも与えてくれる稀有な作品たちだ。