フランスの伝説的映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」誌と
アンスティチュ・フランセ日本が提携し、
現在の映画を語るべく、選りすぐった作品を紹介する「カイエ・デュ・シネマ週間」。
21回目となる2018年は、
同誌のNY特派員ニコラ・エリオットを迎え、
フィリップ・ガレルやクレール・ドゥニ、アルノー・デプレシャンらの最新作のほか、
新しい世代の監督たちの作品を特集しました。
コミュニティシネマセンターでは、この企画から10本をセレクトした
「カイエ・デュ・シネマが選ぶフランス映画の現在」を全国に巡回します。
現代フランス映画を代表する監督の最新作から新鋭監督の意欲作まで、
まさに“フランス映画の現在”を劇場未公開の作品でみることができる、
貴重な、魅力的なプログラムです。
地域 | 日程 | 会場 | チラシ |
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広島県広島市 | 2018年9月14日~24日 | 広島市映像文化ライブラリー会場サイト | チラシ |
高知県高知市 | 2018年10月27日、28日 | 高知県立美術館会場サイト | チラシ |
山口県山口市 | 2018年12月1日、2日、7日、8日、9日 | 山口情報芸術センター(YCAM)会場サイト | チラシ |
東京都渋谷区 | 2018年12月15日~27日 | ユーロスペース会場サイト | チラシ |
愛知県名古屋市 | 2019年2月16日~22日 | 名古屋シネマテーク会場サイト | |
群馬県高崎市 | 2019年7月27日~8月2日 | シネマテークたかさき会場サイト | チラシ |
名匠クレール・ドゥニ監督が描く、大人の女の恋愛コメディ・ドラマ。ヒロインのイザベル役には早くからJ・ビノシュ以外にあり得ないと確信し、「女性らしくあることを怖れず、その美しい身体を隠すことのない服装」(クレルー・ドゥニ)で、何度挫折して、泣きはらしても、真実の愛を求めて、進み続ける現代的女性像を見事に作り上げている。今を生きる女性たちにはとくに必見の本作はカンヌ映画祭でも大好評を博し、監督週間部門のSACD賞を受賞した。中年に差し掛かったイザベルは、シングルマザーのアーティスト。恋愛意欲は盛んで、残りの人生の伴侶を求めてデートを繰り返す。しかしどの相手にも一長一短があり、なかなかうまくいかない。
「(小説家の)クリスティーヌ・アンゴと共同で書かれた本作はドゥニの中でも最も饒舌で、最も笑いを誘う作品となっている」
ジャン=セバスチャン・ショーヴァン「カイエ・デュ・シネマ」
1425年、フランス、ドンレミ村に住む8歳のジャネットが、故郷の村を後にするまでを描く。詩人・思想家のシャルル・ペギーによる『ジャンヌ・ダルク(1897年)』と『ジャンヌ・ダルクの愛の秘義(1910年)』を元に、ブリュノ・デュモンは、未来の聖女の幼年期をミュージカルで描き出した。
「ブリュノ・デュモンは『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』によってこれまででもっとも不純で、奇妙で、様々なものがいっぱい詰っていると同時に、果敢なほどミニマルですばらしい作品を作り出した。この小さな傑作によって彼の映画は決定的に解き放たれた!」
シリル・ベガン「カイエ・デュ・シネマ」
ブロネ地方の海岸沿いの村に住む少年プティ・カンカンは、ガール・フレンドのイヴ、仲間たちと自由に休暇を過ごしている。ある日、海岸に警察のヘリコプターが着陸し、洞穴から牛の遺体を引き出しているのを目撃する。その牛の腹からバラバラにされた女性の遺体が見つかる。そして牛の遺体はもう一体、また一体とふえていく…。警察部長のヴァン・デル・ヴェイデンと部下のリュデュ・カルパンティエ、そしてプティ・カンカン率いる子供たちは、それぞれこの奇妙な事件を追っていく。
仏テレビ局アルテのテレビシリーズとして製作された「プティ・カンカン」は、謎の連続殺人が起こった北フランスの田舎町を舞台に、警察コンビ、少年プティ・カンカンとその仲間たちが事件を追う模様を描いた犯罪コメディ。ブリュノ監督は撮影場所でオーディションを行い、そこに住む演技経験のない一般人を俳優として起用した。第67回カンヌ映画祭で200分のシネマスコープ映画版として上映され、高い評価を得た。同年の『カイエ・デュ・シネマ』誌の年間トップテンで第1位となった。
ときに一本の映画を前にして唯一ある言葉が漏れてしまうことがある。「ありえない」と。最後にその言葉を漏らしたのはレオス・カラックスの『ホーリー・モータズ』を前にしてであった。今日、『プティ・カンカン』を前にその言葉を漏らしている。ブリュノ・デュモンのようにシリアスな映画作家がここ数年でもっとも笑いを呼ぶ作品を撮ってしまうなんて。(…)そしてまた今まで見たことがないほど素晴らしい喜劇俳優が、数ヶ月前まで庭師をしていた無名の俳優だなんて。ありえない、不可能だ、でもここに私たちが望むすべてがある。
ステファン・ドゥローム「カイエ・デュ・シネマ」
五十嵐耕平との日仏共同監督作品『泳ぎすぎた夜』が公開されたフランスの新鋭監督、ダミアン・マニヴェルの前作。2016年カンヌ国際映画祭で絶賛された。
夏。とある公園で二人のティーンエイジャーが初デートをする。始めは戸惑い、恥じらっていたふたり。時がたつにつれ距離が縮まっていく。やがて、日が落ちて、別れの時間…。そして暗い夜が始まり、公園がそれまでと異なる表情、位相を見せ始める。
彼らの究極的な明白さと原形とも言えるような清貧さにおいて、平凡さと言葉を紡ぐ奥行きの混在が感動的な人物像の構成に至っている。
ローラ・チュイエ「カイエ・デュ・シネマ」
弁護士のヴィクトリアは出席した結婚式で、昔の友人ヴァンサンと、以前担当した薬物事件の依頼人サムに再会する。ヴァンサンはその晩、恋人の殺害未遂容疑で逮捕され、仕方なく弁護を引き受けたヴィクトリアだったが、元夫の迷惑行為に対応したり、なぜかサムを住込みのベビーシッターとして雇うことになったり、数々の波乱が巻き起こる…。
人気沸騰中の女優ヴィルジニー・エフィラ(『ELLE エル』、『大人の恋の測り方』)が仕事、家庭、恋愛の間で、自分の生き方を模索する現代的女性を魅力的に演じ、新世代の注目株ヴァンサン・ラコストもその魅力を十二分に発揮、さらにメルヴィル・プポーが油断のならない二枚目中年役を好演。監督は『ソルフェリーノの戦い』の女流監督ジュスティーヌ・トリエ。本国でも大ヒットの恋愛コメディ!
2012年5月6日、大統領選(サルコジVSオランド)の第二回投票当日。テレビリポーターのレティシアは、ソルフェリーノ通りの群集の中、取材をしなければならないが、今日が娘たちとの面会日だと信じきっている元夫のヴァンソンが押しかけてくる。泣き叫ぶ娘たち、途方に暮れるベビーシッター、招かれざる客、人間嫌いの弁護士、歓喜に沸く人々と悲嘆にくれる人々…、すべてが入り混じり、戦いは続く。パリ7区のソルフェリーノ通りには社会党の本部があり、「ソルフェリーノ通り」は社会党の代名詞ともなった。主演のレティシア・ドッシュは、現在公開中の『若い女』にも出演、フランスで今最も注目されている若手女優の一人である。
『ソルフェリーノの戦い』は悪夢へと転じる一日を描く、スコセッシの『アフター・アワーズ』にも近い熱に浮かされたようなコメディであり、愛と政治が混在している叙事詩的映画である。この作品のドキュメンタリー側面(作品の大半はパリの歩道、バスティーユ広場やフランス社会党の本部などで2012年5月6日に撮影されている。)は、実験的な作品を作るためではなく、現在起こっている歴史な出来事を恐れずに捉える自分たちの生きる時代についての作品のためにある。
ステファン・デュ・メスニルド「カイエ・デュ・シネマ」
仏領ギニアの観光再開発のためアマゾン初のインドア・スキー場“ギュイアネージュ”が建設される。その現場にヨーロッパ基準を持ち込むべく、規範省のインターン、マルク・シャテーヌが派遣される。 “ターザン”が呼ばれる先輩女性スタッフとアマゾンのジャングルに調査に出たマルクは道に迷い、ジャングルの“掟”を知ることになる。『7月14日の娘』の監督がアマゾンを舞台に繰り広げるアクション満載のラブコメディ。
ヴィマラ・ポンスとヴァンサン・マケーニュのカップルは、ペレジャトコがフランス映画の若手監督としてどれだけ重要であるかを明らかにしているだけでない。つまり、このカップルは、今日ではギロディと少数の監督のみが妬ましく感じるであろう、絶対自由主義的エロティシズムと政治的ともいえる官能性の力をほしいままに解放しているからだ。
ヴァンサン・マロウサ「カイエ・デュ・シネマ」723号
7月14日、パリ祭。 勤務先のルーブル美術館でトリュケットという娘に出会ってからというもの、エクトルの頭には彼女のことしかない。ヴァカンスの季節、エクトルはトリュケットを海に誘う。トリュケットの友達シャルロットにエクトルの友人パトール、シャルロットの弟ベルティエも加わって、海を めざしてフランスの田舎道を進む。しかし、世の中は経済危機の真っ只中。ヴァカンス禁止令が出され…。2013年カンヌ映画祭監督週間出品作品。
本作は喜ばしい成功であるだけではなく、最近のフランス映画では放棄されていた領域に果敢に踏み込んでいる。それは非自然主義的コメディという領域である。
シリル・ベガン「カイエ・デュ・シネマ」
フランス南部マッシフサントラルの東、フォレズの農場で75歳になるクローデットはひとり農場を守り続けている。しかし、社会の変化はクローデットの生活は困難さを増していく。零細な農業を営む高齢者たちの過酷な現状を描き、2017年カンヌ国際映画祭ACID部門で注目されたドキュメンタリー。10年以上かけて農村の人々のシンプルだが尊厳に満ちた日常をキャメラに収め続けた監督のクリストフ・アグは癌により45歳の若さで他界し、惜しくも本作が遺作となる。
クリストフ・アグの視線にはまったく郷愁的なものはなく、世界についての歌と政治的現状が出会う場としてドキュメンタリー作品を構築している。
ルイ・セギャン「カイエ・デュ・シネマ」
それによって人間の感情のカオスと不調和が流れ込んでくるような忘れられない仕草が奇跡的にとらえられた偉大な映画。
マチュー・マシュレ「ル・モンド」
思春期を迎えたヴァンサンは、母マリーから愛情深く育てられたが、父が誰なのか知らずにいる。ある日自分の父が冷血で皮肉屋の編集者オスカー・ポルムノールだと知ったヴァンサンは父への復讐を企てるが、一風変わったジョセフという男との出会いがヴァンサンたちの人生に変化をもたらしていく。
ウジェーヌ・グリーンは私にとって、現在もっとも重要な映画作家のひとりです。彼の映画を見ると、ロベール・ブレッソン、小津安二郎というウジェーヌが若い頃に影響を受けた映画作家たちとの繋がりが見えてくるかもしれません。しかしより近づいて見ると、彼の作風には揺るぎない独自性があることに気づくでしょう。ウジェーヌは彼独自の映画的世界を築いていて、その豊潤な世界では物語、光、俳優たちの身体や声が調和し合いながら、私たちがそれまで忘れていた、遥かかなたにあった感情を湧き起こしてくれます。映画が終わり、明かりが灯されるとき、私たちはあらためて自分の中の感情、人間的な部分を受け止めるでしょう。
ウジェーヌ自身が冗談めかして口にするように、彼の映画の中に入るということは、未知なる惑星に足を踏み入れる体験と似ているかもしれません。最初はすべてが奇妙に思え、10分ほど経つと、そこにいることがとても心地よくなってきます。
日本の観客の皆さん、ぜひそんな奇妙で心地よい旅に参加してみてください!
ダミアン・マニヴェル